■国籍: 日本 | ■生年月日 :1977年1月28日 | ■出身地: 東京 |
■身長 :164cm | ■体重 :59kg | ■血液型: A型 |
■趣味 :ドライブ、サイクリング、食事 | ■愛車: ホンダ・ビート、ミニ・クーパー |
2010
2010年に向けても、琢磨はF1復帰を最優先にして活動を続けたが、結果的に有力チームと合意に達することはなかった。こうして琢磨の目は新天地アメリカに向けられることになる。2月18日、琢磨はKVレーシングからインディカー・シリーズに参戦すると発表、ここに新たな挑戦の第一歩を踏み出すこととなった。
インディカー・シリーズ初挑戦の琢磨は、オーバルコースの第8戦アイオワで決勝中に3番手まで浮上したり、第12戦ミドオハイオの予選では3位に食い込むなど、随所に光るところのある戦いぶりを見せる。しかし、決勝では様々な不運に見舞われて結果を残せず、シリーズ21位に留まった。オーバルレース初挑戦、インディカー・シリーズ初挑戦の試練を、あまりにも厳しい形で受け止めることになったといえるだろう。
▲2010 KVracing
2011
2011年、琢磨はやり残した仕事を成し遂げるため、2年目のインディカー・シリーズ挑戦を決意する。チームは、昨年の反省を踏まえて体制が強化されたKVレーシング・テクノロジー。その成果は、いきなり開幕戦セントピーターズバーグでの5位入賞となって現れる。さらに、ウェットレースとなった第4戦ブラジルではペンスキーやチップガナッシの強豪をコース上でオーバーテイクしてトップに浮上したが、チームの戦略ミスにより8位に終わった。その後も琢磨は第8戦アイオワや第10戦エドモントンで日本人ドライバー初となるポールポジションを獲得したものの、様々な不運が重なって上位入賞を果たすことができず、決勝の成績としては第11戦ミドオハイオの4位が最上位。こうして、琢磨は2シーズン目のインディカー・シリーズを不本意な13位で終えたのである。
▲2011 INDYCAR Mid-OhioGP
2012
翌2012年、インディカー・シリーズはレギュレーションを改正し、新しいシャシーとエンジンが導入されることになった。これをチャンスと受け止めた名門レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングは、インディカー・シリーズへの本格的な参戦を再開するとともに、「予選でフロントロウを獲得できるドライバー」であるドライバーとして琢磨の獲得に動き始める。インディカーの頂点を目指す琢磨にとって、これは願ってもないチャンス。琢磨は元インディカー・チャンピオンであるボビー・レイホールからの要請を受け入れてレイホール・レターマン・ラニガンへの移籍を決意し、3年目のインディカー・シリーズに挑むことが決まった。
インディカー・シリーズで豊富な経験を有するレイホール・レターマン・ラニガンは、開幕直後から高いポテンシャルを発揮。第4戦サンパウロでは、琢磨にとってインディカーで初となる3位表彰台を獲得した。続く第5戦インディ500に19番グリッドから臨んだ琢磨は、レース中にジワジワとポジションを上げていき、フィニッシュの2周前にはチップ・ガナッシの2台に続く3番手に浮上。まずは2番手のスコット・ディクソンを仕留めると、ファイナルラップの1コーナーではトップを走るダリオ・フランキッティのインに飛び込んだ。スピード差は充分あり、琢磨がトップに立つのは確実と思われたが、ここでフランキッティは老獪なテクニックを披露。琢磨をスピン、そしてクラッシュに追い込むと、みずからはトップでフィニッシュして優勝を飾ったのである。しかし、このときの琢磨の勇敢な戦い振りが全米の注目を集めたことはいうまでもない。
その後はポテンシャルをなかなか結果に結びつけられないレースが続いたが、3番グリッドからスタートした第11戦エドモントンでは終始トップ争いを演じた末に、インディカー・シリーズでの最上位となる2位を勝ち取る。結局、琢磨は計5回のトップ10フィニッシュを果たし、2012年シーズンを14位で終えることとなった。
▲2012 INDYCAR EdmontonGP
しかし、琢磨のレーシングシーズンはインディカーだけでは終わらなかった。この後、OAKレーシングから世界耐久選手権(WEC)の第7戦富士と第8戦上海に出場したほか、全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FN)の第6戦菅生、第7戦鈴鹿、特別戦富士スプリントカップにも参戦したのである。
もっとも、どのレースもトップドライバーが数多く参戦するコンペティティブなシリーズの1戦。さすがの琢磨でも、スポット参戦で華々しい成績を残すのは難しかった。このため、WEC富士:クラス8位、WEC上海:クラス7位、FN菅生:9位、FN鈴鹿:17位/10位、富士スプリントカップ:13位という結果に終わった。
▲2012 Formula Nippon
2013
長いシーズンがようやく終わり、気持ちも新たに2013年を迎えた琢磨は、レイホール・レターマン・ラニガンを離れ、新天地となるAJフォイト・レーシングに移籍することを決心する。AJフォイトはインディカー・シリーズの前身であるチャンプカーシリーズで7度チャンピオンに輝いたほか、インディ500を4度制したことのある伝説のドライバー。そんなフォイトが、インディ500で琢磨が披露したファイティング・スピリットに魅せられ、自らが率いるチームへの加入を希望したのである。
そしてこの年、アメリカン・モータースポーツ界の「生きるレジェンド」であるAJフォイト率いるAJフォイト・レーシングに移籍した佐藤琢磨は、開幕戦セントピーターズバーグでいきなりフロントロウを獲得。早速トップクラスのパフォーマンスを有していることを示したが、決勝ではライバルと接触してフロントウィングにダメージを負い、8位でシーズン緒戦を終えることになった。
続く第2戦バーバーをトラブルのため14位で終えた琢磨は第3戦ロングビーチに参戦。予選こそ4位に留まったものの、オープニングラップで3番手に浮上したのに続いて、23周目には2番手へと駒を進める。さらに29周目にはトップに躍進。その後のリスタートでも琢磨は後続を寄せ付けることなく、最後はファイナルラップで起きたアクシデントのため、イエローコーションのままトップでチェッカーを受けた。これにより、佐藤琢磨はインディカー・シリーズで優勝した初の日本人ドライバーとして歴史にその名を刻むこととなった。
▲2013 INDYCAR Long Beach GP
勢いに乗る琢磨が挑んだのは第4戦サンパウロ。ここで琢磨は予選こそ12位に終わったものの、決勝では次第にポジションを上げていき、34周目にはついにトップに躍り出る。その後、ピットストップのタイミングにより1度は首位の座から離れたが、57周目には再びトップに浮上。第3戦ロングビーチに続く2連勝に挑んだものの、他のドライバーよりも早めにタイヤ交換したことがレース終盤になって響き始め、最終ラップの最終コーナーでついに2番手に転落。このまま琢磨は2位でフィニッシュすることとなる。しかし、2戦連続で表彰台を獲得したことにより、琢磨は通算136ポイントを獲得。日本人として史上初めてインディカー・シリーズのポイントリーダーに立った。
▲2013 INDYCAR
ところが、第5戦インディ500以降は不運の連続となる。そうしたなか、第9戦ミルウォーキーではレース中盤以降にライバルを圧倒するスピードを披露。250周のレースの実に109周でトップを快走したが、ピットストップのタイミングによりレース終盤に7番手へと転落し、結局そのままのポジションでチェッカードフラッグを受けることとなった。シーズン終盤の第17戦ヒューストンでは、チームにとって15年ぶりとなる予選ポールポジションを獲得。復調の兆しを見せたが、レースリード中にパンクに見舞われ、またしても上位フィニッシュを果たす事はできなかった。この結果、最終戦フォンタナが終わった段階で琢磨は322点を獲得、結果的にシリーズ17位でシーズンを終えた。シーズン序盤の快進撃を思えば、不本意な戦績ではあるものの、念願だったシリーズ初優勝を果たした琢磨は、さらなる飛躍を期して2014年シーズンに挑む決意を固める。
2014
幸い、チームオーナーのAJフォイトも琢磨の活躍を高く評価、2013年12月17日という早い段階で2014年もAJフォイト・レーシングからインディカー・シリーズに参戦することが決定した。参戦5年目となるインディカー・シリーズでの飛躍に期待がかかる。
ポールポジションこそ2回獲得したものの、優勝はおろか表彰台もなし。トップ5フィニッシュは2回だけで、シーズンを通じての最高位が4位だったと聞けば、初優勝を遂げた2013年を下回る成績のシーズンだったといわれても仕方あるまい。けれども、そんな2014年こそは、AJフォイト・レーシングのエンジニアリング面が大きく生まれ変わったシーズンであり、琢磨自身もそのことを強く実感することとなった。
▲2014 St.Petersburg, Florida
▲2014 Detroit, Michigan
オフシーズン中の開発が効を奏して開幕直後は上位争いを演じるものの、その後はより規模の大きなチームが開発力にものをいわせてマシーン・セッティングを進めていき、このペースについていけない琢磨たちはシーズン後半に向けて大きく成績を落とすというのが、2010年にインディカーシリーズ参戦を開始して以来、ずっと琢磨を悩ませてきたジレンマだった。しかし、琢磨とAJフォイト・レーシングは、ワンカー体制ながら柔軟な発想とアグレッシブな姿勢でマシーン開発を進めることにより、2014年はシーズン終盤を迎えても相対的な競争力が低下することはなかった。それどころか、シーズンを通じて2回達成したトップ5フィニッシュは、第14戦トロント(5位)と第17戦ソノマ(4位)と、いずれもシーズン終盤のレース。さらに最終戦の第18戦フォンタナでも6位と健闘し、むしろシーズンの終わりが近づくにつれ尻上がりに調子を上げていく形となったのである。
こうした戦績を高く評価したAJフォイトは、シーズンが終了して間もない11月1日という早い段階で2015年も継続して琢磨を起用すると発表。しかも、来年からはチームを拡充して2台体制にすることまで決めたのである。
2015
これは、これまで開発ペースを上げられないワンカー体制に苦しんできた琢磨たちにとって何よりの朗報だった。しかも、2015年シーズンからは規則が改正され、エンジン・マニュファクチュアラーが開発した空力パーツが使用できるようになるが、これは従来の勢力図を一新するチャンスといえるもの。つまり、2015年はトップチームとの差をぐんと縮めるための条件が、これまでになかったほど揃ったのである。こうして、琢磨とAJフォイト・レーシングは大きな期待を抱いて2015年シーズンに挑むこととなった。
予定どおりAJフォイト・レーシングから2台体制で2015年のインディカー・シリーズに参戦することになった琢磨。そのチームメイトに選ばれたのは、インディカー・シリーズは参戦2年目となるイギリス人の若手ドライバー、ジャック・ホークスワースだった。
▲2015 AJ Foyt Racing
しかし、ホンダ陣営が装着したエアロキットは、路面のいいコースでは抜群の空力性能を発揮したものの、特性はややピーキーで、不整の多い路面やエアフローの安定しない状態では本来のパフォーマンスを発揮しきれず、琢磨を始めとするホンダ陣営は苦戦を強いられるレースが続いた。さらに、久々の2台体制となったAJフォイト・レーシングはそのメリットを十分に生かし切るリソースを用意することができず、琢磨はこの面でも難しい立場に立たされた。
それでも琢磨はホンダ陣営でトップとなる成績をシーズン中に何度も勝ち取り、第8戦となったデトロイトの第2レースでは2年ぶりとなる表彰台に上るなど、苦境を跳ね返す活躍を示した。
こうした姿勢が評価され、2015年12月17日にAJフォイトは2016年も琢磨を起用すると発表。これで琢磨はAJフォイト・レーシングに4年在籍することになったが、これはAJフォイト自身を除けばチームにとって最長記録となるもの。それだけAJフォイトは琢磨に深い信頼を寄せているといえるだろう。また、ホークスワースの残留もあわせて発表され、AJフォイト・レーシングはより強化された体制で新シーズンに挑むと期待されている。
2016
2016年シーズンに先立ち、インディカー・シリーズは各メーカーが独自に開発するエアロキットの性能差が大きすぎると判断。ホンダ陣営のみエアロキットの改良を認める決定を下す。これを受けて、ホンダはこれまで以上にパフォーマンスを向上させた新エアロキットを投入。ライバル陣営とより拮抗した戦いを演じることが期待された。
▲Phoenix test, Arizona
しかし、新エアロキットを投入してもシボレー優勢の状況は抜本的には変わらず、ホンダ・ドライバーは苦戦を強いられるレースが続く。また、AJフォイト・レーシングはエンジニアリング体制を強化して2016年シーズンに挑んだものの、新たなセッティング・フィロソフィーは詰めの甘さもあってそのポテンシャルをフルに発揮できず、実戦ではチームのミスや様々な不運が重なって上位入賞を果たせないまま、琢磨はシングルグリッド獲得3回(ロングビーチ、テキサス、ポコノ)、シングルフィニッシュ4回(セント・ピーターズバーグ、ロングビーチ、トロント、ミドオハイオ)という不本意な結果でインディカー・シリーズ参戦7年目を終えることとなる。
いっぽう、シーズン閉幕直後にはAJフォイト・レーシングがシボレー陣営に移籍するとの情報が浮上。琢磨の動向に注目が集まったが、最終的に琢磨はホンダ系チームの最高峰というべきアンドレッティ・オートスポーツへの移籍を12月2日に発表。インディカー・シリーズでのキャリア2勝目とインディ500での上位入賞という野望を胸に、琢磨は2017年シーズンに挑むことになった。
2017
心機一転、アンドレッティ・オートスポーツに移籍した琢磨は、シーズン開幕戦セントピーターズバーグの予選で5番グリッドを獲得すると、決勝も5位で終え、新体制の優れたポテンシャルを強く印象づけた。
インディカー・シリーズの天王山であるインディ500では、予選でこれまでの最高位となる4番グリッドを獲得。決勝では前半に一時16番手まで後退したものの、終盤に向けて徐々に挽回を図ると、最後の10周はエリオ・カストロネヴェスと死闘を展開。ラスト5周でトップに立つと、そのままカストロネヴェスを振り切って栄冠を勝ち取った。日本人の優勝は、100年を越すインディ500の歴史でもこれが初めて。琢磨にとっては2013年第2戦ロングビーチに続くキャリア2勝目となった。
▲2017 Indy500
8月4日、インディ500で優勝した功績により、琢磨に内閣総理大臣顕彰が送られる。内閣総理大臣顕彰を受章したのは、琢磨が通算33人目で、これは奇しくもインディ500のグリッド数と一致する。同顕彰がモータースポーツ関係者に授与されたのは、これが史上初のこと。
いっぽう、シーズン終盤に入ると琢磨はたびたびホンダ勢最上位のグリッドを獲得。最終戦ソノマの予選でも5位につけ、ホンダ勢のベストグリッドはシーズン通算6回目を数えた。これは合計621点でシーズン3位に入ったスコット・ディクソンと並ぶ記録だが、決勝では幸運に恵まれずに20位でフィニッシュ。シーズン通算では441点を獲得し、キャリア・ベストのシリーズ8位に食い込んだとはいえ、インディ500チャンピオンにとって決して満足のいく結果ではなかった。
最終戦直後の9月20日、2018年にレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングへ移籍することが発表される。どんなコースでもトップクラスの速さを示すレイホールはエンジニアリング力に定評があり、インディ500連覇とともに初のシリーズ・チャンピオンを目指す琢磨にとっては絶好のチーム。なお、琢磨がレイホールに在籍するのは、インディ500のファイナルラップで涙を飲んだ2012年以来、2度目となる。
シーズンが終わって帰国した琢磨を待っていたのは、インディ500優勝の功績を称える受賞ラッシュだった。その主なものを挙げると、雑誌「GQ」GQ MEN OF THE YEAR 2017、スポニチフォーラム「FOR ALL 2017」グランプリ、ゴールドスタードライバーズクラブ栄誉賞、日本カー・オブ・ザ・イヤー「実行委員会特別賞」、東京運動記者クラブモータースポーツ分科会最優秀選手賞、プロスポーツ大賞「殊勲賞」、日本レース写真協会2017年JRPA AWARD「栄誉賞」などとなり、モータースポーツ選手の注目をまさに独り占めした感があった。
2018
6年ぶりに復帰したレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングとともに挑む2018年シーズン、琢磨は幸先のいいスタートを切る。開幕前にISMレースウェイ(かつてのフェニックス・レースウェイ)で開催されたオープンテストで琢磨は総合のトップタイムをマーク。しかも、チームメイトであるグレアム・レイホールが2番手につけたのである。さらに、2日間にわたって行われた5回のセッションは、いずれも琢磨もしくはグレアムがタイムシートのトップに名を連ね、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの好調ぶりを示す結果となったのだ。
▲Phoenix test, Arizona
ところが、セントピーターズバーグでシーズンが開幕して以降、レイホール・チームは思わぬ苦戦を強いられる。琢磨は開幕戦でこそ予選5位と健闘したものの、それ以降は低迷が続き、シングル・グリッドから遠ざかってしまう。なにより残念だったのがディフェンディング・チャンピオンとして挑んだインディ500で、予選が16位に終わったうえ、決勝では黒旗が提示されていたにもかかわらずピットインしなかったドライバーと接触してリタイアに追い込まれてしまう。オンボード映像を見ると、琢磨に避けるチャンスがあったようにも思えるが、現実にはタービュランスの影響もあってそれは無理な相談だった。この点は、超高速で戦われるインディ500の難しさを示すものだったともいえる。
▲Indy500, Indianapolis
しかし、第7戦となるデトロイトのレース1で7番グリッドを獲得してからは徐々に復調。第9戦テキサスから第13戦ミドオハイオまでは常に予選でトップ10圏内に食い込み、本来のスピードを取り戻したかのように見えた。 ここまでチームが苦戦していたのは、今季から採用されたユニバーサル・エアロへの対応にあった。この新エアロが導入されたことでダウンフォースが大幅に減少。これに見合ったセッティングを見いだすのに時間がかかったレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングは相対的にポジションを落とすことになり、これが琢磨の低迷にも結び付いたのである。
しかし、シーズン中盤までにセットアップの方向性が定まってからは徐々に復調。10番グリッドからスタートした第12戦アイオワでは今季初の表彰台を手に入れたのに続き、第16戦ポートランドでは予選こそ20位に沈み込んだものの、ピットストップのタイミングをずらす戦略が図に当たり、さらにはマシーンの仕上がりも良好だったため、レース中は尻上がりにポジションを挽回。ついにトップに立つと、琢磨にとってキャリア3勝目となる栄冠を勝ち取ったのである。
▲Portland, Oregon
結果的に琢磨はシリーズ12位でシーズンを終えたが、琢磨の奮闘振りに満足していたチームはシーズン閉幕前に琢磨との契約更新を発表。いち早く2019年に向けた準備を開始することとなった。
2019
2019年シーズンもレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングからインディカー・シリーズに挑むことになった佐藤琢磨。チームは“伝説のエンジニア”と称されるアレン・マクドナルドを招き入れ、技術陣をさらに強化した。ちなみにマクドナルドはインディ500で驚異的な勝率を誇っている。これまでスーパースピードウェイをほとんど唯一の弱点としてきたレイホールにとっては、まさに救世主といっていい人材だ。
ただし、マクドナルドのセットアップは独創的なもので、そのポテンシャルをフルに引き出すのは容易ではない。琢磨も開幕戦は予選20位/決勝リタイアと振るわなかったが、第2戦は予選14位/決勝7位と前進。続く第3戦バーバーで琢磨はポールポジションを獲得すると、決勝でもトップのまま逃げ切ってポール・トゥ・フィニッシュを達成。琢磨がロードコースで優勝するのはインディカー・シリーズに参戦して以来、初めてのこと。ポール・トゥ・フィニッシュを飾ったのもインディカー・シリーズではこれが初めてだった。
▲Barber, Alabama
そして迎えた“マンス・オブ・メイ”、琢磨たちはマクドナルドとともに戦う初のインディ500に挑んだ。プラクティスの前半は目立ったスピードを残さなかったものの、後半に入ると尻上がりに調子を上げていき、ファストフライデイとカーブデイでは3番手タイムを記録。14番グリッドからスタートした決勝では、ピット作業のミスで一時2ラップ・ダウン間近のところまで後退したものの、巧妙なレース戦略と粘り強い戦いにより141周目にリードラップへと復帰。170周目にはトップ5へ駒を進めるとチェッカー間際はトップ3の一画として首位争いを展開する。最終的には3位でフィニッシュしたものの、最後尾から首位に迫るポジションまで追い上げたそのレース展開は、インディアナポリスにおける琢磨の勝負強さを改めて証明する結果となった。
▲INDY500, Indianapolis
インディ500に続く第7戦デトロイト・レース1では3位表彰台を獲得したが、予選でポールポジションを勝ち取ったテキサスではピットストップで停止位置を見誤り、エアガン用のホースをマシーンで引っかけたためにメカニックが負傷するアクシデントが発生。これは様々な不運が重なった結果だったが、アクシデントの責任を問われた琢磨はペナルティを課せられ、15位でチェッカードフラッグを受けた。
第14戦ポコノではさらに不運なアクシデントが発生する。マシーンが密集したコース上で琢磨はアンドレッティのアレクサンダー・ロッシと接触。これをきっかけにして複数台を巻き込む多重事故に発展する。この際、琢磨は自分のラインを守っていたが、ロッシは琢磨が自分に近づいてきて接触したと主張。テレビやSNSでも「事故の原因を作ったのは琢磨」との意見が主流を占めるようになる。これに対し、チームは「琢磨は自分の進路を守っていた」とのプレスリリースを発表するなど琢磨を支持。琢磨も冷静に自分の主張を述べるなどしたが、混沌とした状況のまま第15戦セントルイスを迎えた。
その予選で琢磨は5番グリッドを獲得。一時は最後尾まで後退しながら、このときも粘り強く戦い続けると、最後は2番手のエド・カーペンターを0.0399秒差で凌いで優勝。インディカー・シリーズに挑戦して初めてシーズン2勝目を飾ると共に、市街地コース、ロードコース、ショートオーバル、スーパースピードウェイという、インディカーで開催される4つの異なるタイプのコース全てで勝利を挙げた(現役ではわずか5人)エリートドライバーの仲間入りを果たした。
▲Gateway, Illinois
2020
コロナ禍により、開催前日に開幕戦セントピーターズバーグがキャンセルになるという波乱の幕開けとなった2020年インディカー・シリーズ。これと同時に、当初予定されていた第4戦までを一旦キャンセルとし、改めて日程の調整が行われることになった。
仕切り直しとなった開幕戦は6月6日にテキサスで行なわれることが決定。ただし予選と決勝を同日に行う1デイ・イベントで、しかも無観客開催とされた。レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングで通算4シーズン目を迎えた佐藤琢磨はプラクティスを6番手で終えたものの、NASCAR用に特殊舗装されたレーン2の路面がひどく滑りやすい状況になっていたため、なんとアウトラップでスピン。ウォールと接触してマシーンにダメージを負ってしまう。しかも、1デイ・イベントのためスタートまでにマシーンを補修する十分な時間がなく、琢磨は決勝を棄権。ようやく再開したシーズン初戦に出場できないという不運に見舞われることとなる。
第2戦はインディアナポリス、第3、4戦はロードアメリカでの開催。いずれもロードコースだが、第3戦からは人数に制限があるものの観客を迎え入れる形でイベントは実施された。この3連戦に、リアのアンチロールバーを最大限活用した新セットアップで臨んだ琢磨は、そのポテンシャルを完全には引き出せなかったものの10位、9位、8位と尻上がりの成績を残す。このとき琢磨は「この分でいくと10戦で優勝できそうだね」とジョークを飛ばしていたようだが、実際にはそれよりも早く栄冠を勝ち取ることを、チームの面々も琢磨自身もこの段階では知る由もなかった。
第5、6戦はアイオワでの2連戦。昨年は表彰台に上るなど琢磨はアイオワを得意としているが、第5戦はイエローコーションの出るタイミングが悪くて優勝のチャンスを逃したのに続き、第6戦はマシーンの破損が疑われるほどハンドリングが不調で、最終的に琢磨は10位と21位という不本意な成績を残すことになる。
▲2020 Indy500 Qualifying
第7戦はシリーズ最大の一戦、インディ500である。レイホールに復帰した2018年以降、琢磨のエンジニアを務めてきたのはベテランのエディ・ジョーンズ。本来であれば2018年で引退するはずだったジョーンズは、「琢磨と組めるのなら」という理由で引退を先延ばしにしてきたが、それも2020年が最後。「インディ500でこれまで1度も勝ったことのないジョーンズのためにも栄冠を勝ち取りたい」 琢磨には密かに期するものがあった。
プラクティスで好タイムを連発した琢磨は予選でフロントロウとなる3番グリッドを獲得。決勝レースでは、スティントの後半でもタイム落ちが少ないマシーン作りを心がけながらも、ほとんどのラップをトップ3で周回し、レース終盤に繰り広げられることが予想されたスコット・ディクソンとの決戦に備えた。
琢磨が最初にトップに立ったのは157周目。しかし、2番手のディクソンは168周目に琢磨が最後のピットインをするまで仕掛けてこなかった。ピット作業を終えた琢磨が改めてトップに立ったのは、レースが残り15周となった185周目。この後、ディクソンは琢磨を追撃するどころか、逆にジワジワと離されていった。そして196周目にアクシデントが発生してイエローコーションになると、これがフィニッシュまで続き、琢磨は無観客で開催された第104回インディ500の栄冠を掴みとったのである。琢磨にとって、これは2017年に続く通算2勝目。ちなみにインディ500で2勝以上を挙げたドライバーは史上20人しかいない。こうして佐藤琢磨はインディアナポリスの歴史にその名を刻み込んだのである。
▲2020 Indy500
歓喜の栄冠から一週間後に開催されたセントルイスのダブルヘッダーレースでも琢磨はバツグンの速さを示した。5番グリッドからスタートした第1レースではオーバーカットを駆使したレース戦略でトップに浮上。琢磨はレースが残り25周となったところで最後のピットストップを行なったが、この作業がわずかに遅れたために3番手となってコースに復帰。その後、パト・オワードを抜いて2番手に返り咲き、トップのディクソンに迫ったものの、惜しくもオーバーテイクはならず、2位でフィニッシュした。
続く第2レース、琢磨はポールポジションからスタートすると、前日と同じようにオーバーカットでリードを広げる作戦だったが、この日はコースコンディションが前日と異なっていた影響もあって、琢磨とは反対のアンダーカットが有利な展開となる。さらに周回遅れに行く手を阻まれた琢磨は9位でフィニッシュ。結果的に本来の速さを生かし切れないままセントルイスを去ることとなった。
▲2020 St.Louis
この後はミッドオハイトとインディアナポリスでロードコース4連戦が繰り広げられたが、今年から用いている実験的なセットアップの速さを引き出すことができずに低迷。最終戦のセントピーターズバーグでは、ついに新規のセットアップを諦めてコンベンショナルな設定に戻したところ堅調な速さを示し、セットアップの悩みに琢磨たちが翻弄されていた実態を浮き彫りにした。レースではトップ5まで上り詰めるも、理不尽なペナルティを受けることとなり、10位でフィニッシュした。
全14戦を戦い終えて琢磨は通算348点を獲得。ポイントランキングでは7位となった。これは琢磨がインディカー・シリーズで残した過去最高の成績。43歳を迎えてもなお、琢磨がレーシングドライバーとして進化し続けている事実を、なによりも結果が雄弁に物語っていたといえるだろう。
なお、最終戦直前の10月23日、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングは2021年も琢磨を起用することを発表。これで琢磨が12年目のインディカー・シリーズに挑戦することが確定的となった。
2021
2020年を力強く戦い終えた佐藤琢磨を待ち構えていたのは、予想外に厳しいシーズンだった。ちなみに今季の最高位はデトロイトのレース1における4位。ただし、苦しいながらも琢磨は着実にレースで完走し、終わってみれば、チェッカードフラッグを受けなかったのは2レースだけというシーズンを送った。こうして琢磨は通算324ポイントを獲得し、シリーズ11位という成績を残したのである。
▲Sato holding Baby Borg Trophy with the crew of his #30 car
琢磨が好成績を収められなかった最大の理由は、チームの用意したマシーンが予選で本来の速さを発揮できないことにあった。このため琢磨は後方のグリッドからのスタートを強いられ、上位フィニッシュを果たせないレースが続いたのだ。たとえばインディ500では、イエローコーションが提示されることを期待したチームの戦略ミスにより極端な燃費走行を強いられ、最後はトップを走行中にピットストップを行なって14位に終わる屈辱を味わった。それに先立つテキサス・モーター・スピードウェイでは、イエローが出た際にステイアウトを決め込んだためにグリーン中にピットストップを行なう羽目となり、このときも14位でフィニッシュ。セントルイスも十分に優勝が狙える展開だったが、琢磨のマシーンに必要な燃料が補給されていなかったことが判明し、レース終盤に追加のピットストップを強いられたのである。
▲Rd.6 Indianapolis 500 Mile
そのいっぽうで、決勝ではタイヤから安定したパフォーマンスを引き出し、激しく追い上げる展開を繰り返した。この結果、レース中にもっとも多くポジションを挙げたドライバーに捧げられるTAGホイヤー・ハード・チャージャー・アワードを琢磨は受賞することになった。
12月に入ると、2022年はデイル・コイン・レーシング・ウィズ・リック・ウェア・レーシングからインディカー・シリーズに参戦することが発表される。こして琢磨は4年連続、通算5シーズンをともに戦ったRLLRを離れ、新たな一歩を踏み出すことが決まった。
2022
2021年限りでレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングを離脱した佐藤琢磨は、トップチーム加入のチャンスがありながらも、敢えてデイル・コイン・レーシング・ウィズRWR(以下、DCR)への移籍を決める。
DCRは、インディカー・シリーズにエントリーするチームのなかで「もっとも規模が小さなチームのひとつ」とされるが、1年を通じて同じスタッフとともに参戦できることやチームオーナーであるデイル・コインのインディ500への並々ならぬ情熱などが、同チームを選択した最大の理由だったと琢磨は語る。
ただし、チームの規模が小さいことからスタッフの数が十分とはいえず、未経験のメカニックがピット作業に関わるなど、体制面で不安が残る部分があるのも事実だった。
そんな不安を拭うかのように、琢磨は開幕戦セントピーターズバーグで幸先のいいトップ10フィニッシュを達成。インディ500のプラクティスでは連日トップタイムをマークするなど、チームの規模からは想像もつかないような健闘を示した。
▲2022 St.Petersburg, Florida
その後に行われたオーバルコースでの3レースではいずれもシングル・グリッドを獲得したほか、8番グリッドからスタートした第16戦セントルイスではシーズン最高位となる5位フィニッシュも果たしたが、年間を通じてピットストップやレース戦略でのミスが続き、結果的に通算258ポイント、ランキング19位で2022年シーズンを締め括ることとなった。
2023
佐藤琢磨の2023年。それは、これまで13年間にわたってインディカー・シリーズに挑んできたどのシーズンとも異なる、まったく新しい経験となった。
まず、加入したのがチップ・ガナッシ・レーシングという、インディカー・シリーズでは押しも押されもせぬトップチームであることが大きく異なっていた。
2017年に加入したアンドレッティ・オートスポーツもトップチームの一画だが、チップ・ガナッシ・レーシングこそはチーム・ペンスキーと並ぶシリーズ最高峰のチーム。特に近年は必ずと言っていいほどインディ500で上位争いを演じてきた実績を誇る。インディ500での3勝目を狙う琢磨にとっては、最高のパートナーといって間違いのない存在だ。
▲Chip Ganassi
しかし、琢磨がチップ・ガナッシ・レーシングから参戦できるのはオーバルレースだけで、ロードレースや市街地レースには、琢磨に代わって若手のマーカス・アームストロングが出場する。つまり、琢磨は2010年にインディカー・シリーズへの挑戦を開始して以来、初めてスポット参戦することになったのだ。
このため、琢磨にとってシーズン初レースとなる第2戦テキサスには、事前のテストもなくぶっつけ本番の状態で臨んだが、予選では6番グリッド獲得と大健闘。決勝ではライバルに押し出される格好となってウォールと接触してリタイアとなったが、それでもトップチームの実力を再確認する絶好の機会となった。
▲Fort Worth, Texas
琢磨にとっての2戦目は、シーズン最大の大一番でもあるインディ500。ここで琢磨はトップチームから参戦するメリットを享受し、初日プラクティスでトップタイムをマーク。その後もチームメイトに優るとも劣らないスピードを示し続け、予選では3列目となる8番グリッドを確保。さらに最終プラクティスとなるカーブデイでもトップタイムを叩き出してから、雌雄を決する決勝レースに臨んだ。そして200ラップの大半をトップ10圏内で走行したものの、マシーンの仕上がりは完璧とはいえず、最終的に7位でチェッカーを受けた。この結果は琢磨にとって不本意なもので、レース後の表情にも悔しさが滲み出ていたが、シングルフィニッシュの7位でさえ不満と感じるところに、琢磨とチームの志の高さが表れているともいえるだろう。
▲INDY500, Indianapolis
インディ500の2ヵ月後にはアイオワの2連戦にエントリー。そのプラクティスではファステストラップに迫る速さを示し、11番グリッドからスタートした第1レースでは9位フィニッシュを達成したものの、第2レースはウォールと接触するアクシデントを経験。25位でチェッカードフラッグを受けた。
琢磨の2023年シーズンを締め括るレースはゲートウェイで開催。初日プラクティスでは3番手に食い込んで見せたものの、17番グリッドからスタートしたレースではマーブルに乗った影響でウォールと接触。不運にもリタイアに追い込まれた。
結果的に通算70ポイントを獲得した琢磨はシリーズを29位で終えた。それは、随所で速さを見せつけることで、琢磨とチップ・ガナッシ・レーシングのポテンシャルの高さを示すシーズンではあったものの、琢磨が目標とする結果が得られたとは言いがたいのも事実。しかし、琢磨の挑戦がこのまま終わるとは思えない。2024年の捲土重来を期待したい。